児玉泰地
TaichiKodama
皆様からの紹介
皆様から「私の知ってる児玉泰地」を書いていただきました!
薫女(ゆきめ)
芝居人 劇団執劇者所属
最初に会った時はなんか物理的に折れそうだと思いましたが、全然そんなこと無かったです(当たり前)。最初の出会いは、劇の宣伝を躊躇う(私はシャイ)私の背中を押して下さいました。すごくタフな方です。色んなところへ飛び込んで、何があってもめげない。見習いたいなあと思うことが多々あります。堅実に自分の世界を広げている、そんなイメージの方です。
そしてなんとなく憎めない方で、世話好きな一面も。最初にお会いした時からそうでしたね。
気難しい私にも何度でも世話を焼いてくれる方です。
ありがたきかな。貴重な先輩であり、友人であり、戦友でもあります。
さすがやあうん
奈良県出身。GoooooToJ主宰。『楽しむ』『楽しませる』『伝える』がモットー。芝居、芸術、サブカルチャーを通じて、さまざま人とつながりながら、世界に向かって挑戦中。ブログ毎日更新してます。
外は黒くて 中は白い だから灰色
白を表現しても 黒を通してしかできない だから灰色
黒になれないけど 白以外にも興味がある だから灰色
黒いものも苦手 白いものは危険 だから灰色
だからお芝居をしていて
だからたまに無駄に料理なんかしたりしていて
灰色
ねこまね
40代 女性 ワークショップデザイナー仲間
「だま」
だまはオンとオフの差が激しい。芝居モードの時と、だま本人の時とは別物。その中間となる「社会人モード」は持ち合わせていないらしい。
一言で言うと「頼りない」人だったりする。
それでもひたむきに芝居に打ち込む姿には、「偉いなあ」と思う(上から)。
自分で考えて、自分で決めてる人だなあ、と思う。
そのせいか、20歳くらい歳が離れているのを感じさせない。気がつけば対等に話してる。そして、それは私にとって、結構心地よかったりする。
本人にとっても、周りにとっても、優秀なマネージャーが現れてくれることを切に願う。
名乗るほどの者ではありません
「奈良の母」と言われて困ってます。
自意識とアレルギーと居眠りでできています。
今どきの若者です。
たかはしまこ
男装家 オムライスproject主宰・役者
一言で表すと、「おばかさん」だと思います 自意識と見栄をいい感じに拗らせた、楽しいお馬鹿さんです。同族なんだろなぁ、と思います。自分に近いものを感じます。 舞台に立って役が降りてきた瞬間は、美しいです。神降ろしに等しいです。 なので単なるおばかさんではないです。 多分狂人か何かなんだと思います。 神聖な狂人です。
出町平次
劇燐「花に荒らし」主宰 24歳
最初に見たのは、確か京都のC.T.Tという試演会での一幕だった。
そこには、一つの肉体があった。
何というしなやかさ。何という力強さ。
体に巻き付く腕、掌、手、指。
引きはがそうとする意志、それに反するかのように絡みつく肉の蔦。
その姿は原初の大地で揺れるシャーマンの踊りのように見えた。
そして、その後ろに広がる広大な大地。
地面から生えたかのようにしっかりと体を支える大腿。
それに連なる体幹。捻じれ、筋張り、そして隆起した肉体。
この細く長い体に、砂漠の巨獣を思わせるほどの豪奢な獣性を見た。
そのくせ、その口から唸るように漏れる言葉は、経文のような重みと響きを持って、ひたすらに理性を吐き出していた。
武道、特に居合道の世界で、脱力からの一撃はふり幅が大きければ大きいほど、鮮烈なものとなるという。
児玉泰地という男の持つ、一種の凄みは普段の、「えへへ」と気さくに笑って見せたり、とてもおいしいカレーを作ったり、そんな見る人が、ほっとするような優しさから、一瞬で獣の双眸へと変わる、そんなところにあるのかもしれない。
A5ランクのステーキよりもゴージャスな肉体をもつ男。
それが、僕が児玉泰地に抱いている印象だ。
しき
20代、おはようトレーニング制作
個人的に、コダマタイチにはほんとうに興味がない。児玉太一なのか児玉太地なのか小玉泰地なのか確信を持って書けない程度に興味がない。
それでも。「役者でない」と謳いながら役者でしかない彼のからだはわりとすきだ。細いのに重そうなからだを、ずっと、みていたい。コダマタイチを器用だとか面白いとか胡散臭いとかそういう言葉で片付けてしまえばそれまでだけど、何に対しても「安心してみてられる」とか言いやがるダサい演出家を思い出して、いまだに彼を形容できずにいる。きっと、これからも付き合いがあるだろうから、というか付き合っていきたいから、あとでスマホの辞書に彼の名前を登録しよう。
薫女(ゆきめ)
松本淳子ー職場同僚。現在小学5年生の母。演劇については無知である。観劇も滅多にしない。「生きる」とは何ぞや、子どもに聞かれたときにこたえられる大人になりたい、そう思いながら毎日を過ごしている。
第一印象である。
道具の配置を自分の背丈に合わせるのではなく、自分を道具の配置に合わせにいくのだ。片手でひょいと移動できるであろう道具を体を小さく折りたたんで使用している姿は今でも鮮明に覚えている。これが彼との出会いである。場所は職場の研究室。次に仕事で一緒になったのは生産現場。ここでは、先輩社員に可愛がられている彼がいた。生産現場の仕事はかなり辛い。しかし彼は黙々と働いていた。愚痴を聞くことは一度もなかった。
彼の舞台を観に行ったのは2回。いずれも私生活が赤裸々に表現されていた。台詞の一語一語に彼がいる。そんな舞台だった。職場の不器用な彼からは想像も出来なかった。彼の言葉の選び方、センス、私は好きだ。シンプルな小道具、時には体の一部を使ったりと表現方法も彼の言葉を際立たせる役割を担っているのかもしれない。
厳しい労働条件の中、いつ脚本を書き、稽古をしているのだろうか。彼はいつも眠そうにしている。きっとヘトヘトに疲れた身体でも演劇にか関わっている時間はベツ腹ならぬベツ時間なのだろう。
彼は愚直な人である。
私はこれからも彼を応援したいと思う。